好きになることから始めよう
金城一紀の傑作短編小説集『映画篇』の中に、「愛の泉」という名の作品がある。大学生の主人公が、おじいちゃんを亡くして元気をなくしてしまったおばあちゃんのために、おじいちゃんとの思い出の映画を自主上映することを
金城一紀の傑作短編小説集『映画篇』の中に、「愛の泉」という名の作品がある。大学生の主人公が、おじいちゃんを亡くして元気をなくしてしまったおばあちゃんのために、おじいちゃんとの思い出の映画を自主上映することを
およそあらゆる動物は、二つの眼を持っている。神話や昔話以外で単眼(隻眼)の動物がいないというのは考えてみれば不思議なことで、それほど眼が二つあるというのは動物(=動く生物)にとって根本的なことなのだろう。 眼が二つあるこ
対話がブームになっているが、「対話で社会(会社)を変えよう!」的な言説にはどうにも違和感を感じてしまう。違和感を感じるのは、対話の場を埋め込めば、その組織なり会社なりが「対話的」になるという勘違いがまかり通っていると思う
「対話」がブームである。 「対話」や「ダイアローグ」をテーマにしたワークショップやイベントが人気で、セミナーに言っても、講師の話を聞いた後に受講者同士の「対話」の時間が持たれることが増えてきた。勉強会や読書
スタジオ・ジブリの映画『もののけ姫』(1997年公開)は、タタリ神となった巨大イノシシがエミシの村を襲うところから始まる。物語の主人公アシタカは、村を守ろうとタタリ神に弓を引き、見事倒すが、それと引き換えにタタリ神の呪い
第一回目にソーシャルセンサーは社会の課題と企業の課題の矛盾の中にいるということを書いた。社会の課題に目を向ければ向けるほど、企業の課題とぶつからざるを得ないのが、ソーシャルセンサーだ。とりわけ、エネルギーの限界から来る、
生き物が環境の変化を察知するためのセンサーを備えているように、会社にもセンサーを埋め込むことが必要なんじゃないか。前回のコラムでそう書いた。 この「会社のセンサー」のあり方を考える時、二つのことが問題になると思う。 セン
よい問いがよい答えを出すのだが、よい問いは次の問いもつくり出すということも忘れてならない。答えを急いではいけない、あくまでも問いそのものの質に目を向けてほしい。そして社会の課題に対して、根源的な問いをつくることがソーシャ
社会は今大きく変わろうとしている。成長も限界を迎え、人口も縮小、少子高齢化、ピークオイルと成長の時代から縮小の時代へと変わっている。山に例えるなら上り坂から下り坂を降りていく時なのだ。 上り坂と下り坂では歩き方は全く違う