二つの眼で見るということ

およそあらゆる動物は、二つの眼を持っている。神話や昔話以外で単眼(隻眼)の動物がいないというのは考えてみれば不思議なことで、それほど眼が二つあるというのは動物(=動く生物)にとって根本的なことなのだろう。

眼が二つあることのメリットは眼の位置によって異なってくる。

ウサギやウマのように、顔の側面にある場合は、眼が二つあることが視野の拡大を意味する。ウサギはほぼ360度の視野を確保しており、顔を動かさずに真後ろにあるものも見ることができるらしい。これに対し、ヒトやフクロウのように顔の前面に並んでついている場合、視野はそれほど広くない。ヒトの場合でせいぜい190度。顔を動かさない限り、後ろ半分はほぼ見えない。その代わり、両眼視野、つまり両目で見ることのできる視野が120度もある(ウサギのそれは10度程度である)。

 

眼が二つあるから立体視できる

両眼視野は立体視野とも言われる。二つの眼で見ることによって、奥行きや遠近感をもった立体的なものの見方ができるようになるからだ。両眼視が立体視を可能にするのは、二つの眼がとらえる像のズレによる。右目・左目を交互につむって見ればわかるが、それぞれの眼が見ている世界は微妙に角度がズレている。このズレを両眼視差というが、二つの眼で見る像のズレを脳が補正することによって、対象を立体的に把握することが可能になるのだ。昨今はやりの3D映像は、この原理を応用している。

(CC) Christopher Michel

…と書くと簡単なことのように思えるが、これはとてつもなく凄いことだ。それぞれの眼は別々のものを見ているのに、我々は目の前のものが二重に見えたりはしない。別々に見たものが矛盾がないようにちゃんと統合されて一つに見えるようになっているのである。これは、「右眼と左眼でズレるのは、もともとの形がこんな立体になっているからだろう」という類推を脳が行なって、その類推とつじつまが合うように視界が合成されることによる。だから厳密に言えば、我々が見ている世界というのは脳がつくりだした合成映像=仮説的世界だということになる。実際には見えていないものを見た気になっているのである。だが、そうやって「見えないものを見る」ことで初めて、奥行きのある、リアルな世界把握が可能になるわけだ。

二つの眼と、二つの眼が見た別々の視界を統合して一つの視界をつくりだす脳を持つことによって、動物達は初めて奥行きのある、リアルな視界を手に入れた。このことは企業のような疑似生命体のあり方を考える上で多くの示唆を与えてくれる。

 

企業を取り巻く視点

まず、よりよく見るためには、当たり前だけど、あえて別々の角度から見る必要がある、ということだ。「多面的に分析せよ」「あらゆる可能性を検討せよ」とはよく言われることだし、最近では、ステークホルダーごとの視点、例えば、「株主の視点」「お客様の視点」「従業員の視点」「地球の視点」「(地域)社会の視点」「将来世代の視点」で見て、判断することが求められている。二つの眼どころではなく、最低でも6つの眼で見ることが必要なのだ。なんと複雑なことなのだろう。

これだけ見る眼が違えば、当然に矛盾も生まれてくる。矛盾から矛盾のない統合的視野を生み出すのが動物の脳だが、企業の場合、そんなことは可能なのだろうか。

例えば、会社(株主)にとっては、従業員の給料は安いにこしたことはない。そのほうが固定費が低くなって、利益の出やすい体質になる。だが、従業員にとっては、給料カットは死活問題だ。

或いは、「地球の視点」や「将来世代の視点」から見れば、二酸化炭素も含めて廃棄物は出さないほうが良い。しかし、いつまでも在庫を抱えていたら負担が嵩むばかりなので、年度末には大量の在庫が廃棄物として密かに廃棄物処理場に持ち込まれていくことになる。いかに理不尽に思えようと、「株主の視点」からすれば、利益を高めるための行為だからこれは正当化されるのである。

前者については、労働組合のある大企業であれば、経営側と組合側が対話(=団体交渉)をすることによって何とか妥協点を見いだそうとする。一方、「地球の視点」や「将来世代の視点」が問題になる後者の場合、代弁者となり得るのはNGO・NPOや市民団体だから、真摯な企業であれば、これらの人々と対話をすることによって、何とか解決を図ろうとする。

 

対話で矛盾は統合できるのか

だが、異なる視点の人と対話の機会を持ったからと言って、統合した視野を得るのは並大抵なことではない。それぞれのステークホルダーにそれ向けの顔をすることで、何とかやり過ごしている、というのが現状ではないだろうか。そもそも、いちいち矛盾と向き合うなんて悠長なことをしていたら、スピードの求められる企業経営では致命的なことになりかねないのだ。

だから、昨今流行の「ステークホルダーダイアログ」も、大抵は儀式化してしまう。本当の意味で矛盾と向き合う深い対話が行われ、今迄見えていなかったものが見えてくるような「視界の弁証法」が生まれることはない。それが多くの企業の現実である。

そう考えると、動物達が、二つの眼で見ながら、矛盾のない世界を創造し続けていることの凄さが際立ってくるのである。動物が二つの眼で見るように、奥行きのある、リアルな世界把握を自然にするためにはどうしたら良いのだろうか。
(文責/井上岳一)

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