深い軒を用意する:
『生命知としての場の論理』

「無限定な事件が絶えず起きている複雑な社会の中で、人間
やその組織がどうやって生きつづけていくか、あるいはどう
やって発展していくか。こういうことを教えてくれる知を、
私は『生物的な知』と呼びたいわけです」(P.15)

この「生物的な知」とは「身体的な知」であり、「リアルタ
イムの創出知」であると清水先生は言う。

この「リアルタイムの創出知」とは何かを探るために着目し
たのが真剣勝負の武道の世界、中でも柳生新陰流の世界であ
った。以下、本書では、生物学の泰斗が、生物にとっての情
報の意味とは何か、生物が意思決定をする時の場のあり方と
はどのようなものなのか、創造する知性とは何か、を柳生新
陰流や即興劇の原理を参照しながら読み解いていく。これが
すこぶる刺激的。企業にとっての情報の意味やイノベーショ
ンの生み方を考える上で、こんなに示唆に富む書物はない、
と言っても過言ではないほど。

清水先生の興味は「場」のあり方にある(現在では「場の研
究所」を主宰しておられる)。

「リアルタイムの創出知」が生まれるような「場」とは何か。
キーワードは、「自他非分離的世界観」であると言う。自他
非分離とは、「自分は世界の中に位置づけられている」とい
う観点で自己を捉え直すことである。これに対し「世界は自
分の中に位置づけられている」と見なすのが、自他分離的な
世界観だ。この自他分離的な世界観が近代文明の原理として
据えられてきたために、今、社会は大きく行き詰まっている、
というのが清水先生の見立ててである。

では、どうすれば自他非分離的な世界観をつくれるのか。

ここで清水先生は魅力的な比喩を使う。

「太陽の照りつける京都の夏、しぐれる雨の秋の夕方、そん
なときに旧い木造の家が並んだ路地は、不思議と人の心を引
きつけるものです。そこには『深い軒』があり、旅人はその
陰を借りて一服したり、雨宿りをしたり、そしてそこから人
と人の間の関係が生まれるのです。それは他者に開かれた空
間であり、そこに旅人は懐かしさを感じるのです。(…)
自他非分離的世界観はわかりやすく言えば、自分の中に深い
軒を用意する世界観です」(P.128)

そう、ウチとソトを明確に境界線を引くことなく、深い軒を
用意し、そこに人を招き入れる。そうやってソトに開かれた
場を持つことが、リアルタイムの創出知の生成には必要とい
うことだろう。

「存在は常に関係に現れます」(P.132)
「創造の始まりは自己た解くべき問題を自己が発見すること
であって、何かの答えを発見することではない」(P.202)
「願望は普遍的な問題の創造に必要な拘束条件です」(P.210)
「生きることの普遍的な原理は、結局、拘束条件の創出の原
理となるのである」(P.255)
など、何とも魅惑的な言葉の詰まった名著であり、ソーシャ
ルセンシングを考える上で、汲みども尽きせぬヒントを授け
てくれる本である。

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