マーケティング思考を超えて:
『WHYから始めよ!』

2011年5月から半年の間、毎月開催していたソーシャルセンシングラボ。
そこに参加してくれていたメンバーの一人はラボのことを評して、

「個人に立ち戻ることのできた場。
HOW toではなく、WHYについて考えることができた場」と言っていた。

そして、それは普段のビジネスの現場では得難い場なのだとも。

マーケティング部長である彼は、当たり前だが、普段は、
どうしたら売れるかということばかりを考えている。
それは、どうやってやるかというHOW toばかりで、
そもそもなぜこれをやるのかというWHYに立ち戻ることはなない世界だと言う。
そして、WHYに立ち戻ることがないから、
個人としてはおかしいと思っているようなことでも、
あまり深く考えることもなく、「そういうもの」として、続けられていくことになる。

例えば、日用品を扱っている彼の業界では、シェア争いは熾烈だ。
差別化が難しい製品が多いため、どうしても値下げや、
芸能人・キャラクターに頼ったキャンペーンで競い合うことになる。
それは不毛なことだとわかっている。
わかっているが、シェアが落ちてもいいと開き直ることは難しい。
だから、競合とのシェア争いに明け暮れることになるが、
そのシェア争いで一時の成功を納めたとしても、
そこに仕事の喜びはないと言う。
このままのやり方が続くはずはないと心の底では思っているからだ。

天才的なマーケターである彼だが、
その彼をしても「全然楽しくない」と言わせてしまうのが、
今のマーケティングの現場なのだ。

そういう現場での日々を送っている彼なので、
一ヶ月に一度のラボにおいて、
組織人ではなく個人としてはどう思うのか、
そもそも何のために自分はビジネスをしているのか、
を問われ続けたことは、とても新鮮だったという。
そして、そうやって問われ続けたことによって、
日々の仕事の場面での見方や考え方が徐々に変わっていったと言うのだ

そこで得た気付きとは、

HOW toばかりでなく、WHYを問うことが大事なのだ。
WHYから考えれば、商品の作り方も売り方も変わってくる。
まさにStart with WHYなんだ」ということだった。

この時に彼が口にした「Start with WHY」は、
実は、米国人のコンサルタント、サイモン・シネック氏の言葉である。

「人々をインスパイアする方法」を伝授することを仕事にしているシネック氏だが、
2009年の米国TEDカンファレンスの講演”How Great Leaders Inspire Action”は、
TED史上最も多くの回数ダウンロードされたものの一つにリストされている。
TwitterやFacebookでも話題になったから、既にご覧になった方も多いだろう。

本書で語られていることは、この18分足らずの講演でほぼ言い尽くされている。
そういう意味では、この講演さえ見れば本書を読む必要はないと言える。

彼の主張はいたってシンプルだ。

何事もWHYから始めなければいけない。
WHYから始めれば、心の底からのやる気が出る。
誤った前提や思い込みを修正して、前に進むことができる。
人を鼓舞し、巻き込むことができる。
結果として、イノベーションを起こしやすくなる。

その証拠に、イノベーティブなリーダー達は、皆、鮮明なWHYを持ち、
WHYの実現のために生きている。
スティーブ・ジョブズしかり、ライト兄弟しかり、キング牧師しかり。

シネックが、WHYが大事だと言うことを説明する際に用いるのが、
「ゴールデンサークル」なる概念だ。
それは、中心からWHY→HOW→WHATと広がる同心円で説明される。

企業活動に当てはめると、
WHYが理念や大義、
HOWがビジネスモデルや差別化方法、
WHATが製品やサービス
ということになる。

ポイントは、ゴールデンサークルの外側は目に見えるし、
説明しやすいけれど、内側に行くほど、自覚しにくいものになる、ということだ。
自分の会社の製品やサービスのことを知らない社員はいないが、
理念や大義になるとよくわからない。
そういうケースはままある。

だが、実のところ、
人々が買うのは、WHAT(あなたがしていること)ではなく
WHY(あなたがそれをしている理由)なのだ。

そのことをわかっていない多くの企業は、WHATやHOWのことばかり考え、
他社と差別化し、消費者を操作して自社のものを買わせようと躍起になっている。

そうではなくて、まずはWHYをきちんと明確にし、
その上で、WHYと整合性のあるHOWやWHATを考える。
そういう順序でなくてはいけないとシネックは主張する。

当たり前のことだ。あまりにも当たり前すぎる。
しかし、この当たり前が当たり前のものとして成立していない。
そこに今の企業社会の問題点がある。

だから、シネックの言う言葉が多くのビジネスパーソン達に、
共感を持って受け入れられるのだと思う。

とは言え、
理念や大義で飯が食えたら苦労しない、と言う人も多いだろう。
現実はそんなに甘くない、とも。

そう、確かに甘くない。
だが、WHYに立ち戻ることなく、
HOWやWHATのレベルで手を変え品を変えやっているほうが、
よっぽど現実を見ない、甘い考え方であり、やり方ではないのか。

日々やっている仕事の前提、自分の前提を問い直すのは勇気のいる行為だ。
だが、組織は容易に自己目的化してしまうから、
前提を問い直す勇気を持ち続けない限り、
環境の変化に適応して生き残ることは難しくなってしまう。

そういう意味でも、明確なWHYを持っているというのは生き残りの鍵になる。
それは、ナチスの強制収容所を生きのびた医師V.E.フランクルが
その著書『夜と霧』の中で引用したことで有名になったニーチェの言葉

「何故生きるかを知っている者は、殆んどあらゆる如何に生きるか、に耐えるのだ」
(”Those who have a ‘why’ to live, can bear with almost any ‘how.’”)

とも呼応する。
(ちなみに、シネックは本書のあとがきの中で、「万人が読むべき本当に重要な本」
として『夜と霧』を挙げている)

WHYを持つと、絶望的な状況の中でも自分に負けない強さを持つことができる。
つまり、WHYは、自分と戦い続ける上でのとても重要な道具になるのだ。
そして、それこそシネックが本書で伝えたかったことなのだろう。

結局、WHYの提唱を通じてシネックが伝えたかったのは、
今の企業は競争の相手を間違えている、ということだと思う。
だから本書の最終章(14章)は、「新たな競争」と名付けられている。
では、そこで語られる真の競争の相手とは誰なのか。

この締め括りの章は、
ベンという脳性小児麻痺の男子がレースをする様子を描いている。

ベンは上手に走れない。だから、当然皆から遅れをとる。
ほかの皆が25分で走るコースを、ベンは45分かけて走る。

だが、25分を過ぎると、素晴らしいことが起きる。
レースを終えた生徒達が、ベンと一緒に走るためにトラックに戻ってくるのだ。
そして、転んだ時には立ち上がれるよう手助けをする。
ゴールをした時には、背後に100人の生徒がいる。

この感動的なエピソードから、シネックは以下の教訓を引き出す。

「ほかの人間と競争するとき、だれもあなたを助けたいとは思わない。
ところが自分自身に戦いを挑むと、だれもがあなたを助けたいと思う」

(when you decide to compete against others, no one will help you.
But when you decide to compete against yourself….everyone will help you.)

ベンは、誰かを打ち負かすためでなく、自分自身に勝つために走る。
ベンにとっては、走り続けること、前進すること、立ち上がることは、
全て自分自身との戦いである。自分に勝つというWHYが明確にわかって
いるから、ベンは自分自身に戦いを挑む強さを持つことができるのだ。
そして、その自分自身に戦いを挑む姿勢が人の支持や支援を引き出すのである。

そう、シネックが伝えたかった真の競争相手とは、自分自身に他ならない。
ビジネスも、ベンのように自らのWHYを実現するための自分自身への
戦いであるべきなのだ。
自分自身と戦い続けていれば、応援する人は自然に生まれてくる。
アップルがあれだけ支持されるのも、
Think Differentを実現しようと不可能に挑戦し、
自分自身と戦い続けるジョブズの姿勢に思わず共感してしまうからだろう。

勿論、企業の生き残りのためには、ライバルに打ち勝ち、
ユーザーの心を捉えるためのマーケティング活動は不可欠だ。

だが、その前提にあるものが、マーケティング思考ではいけないのだ。
前提にあるべきものは、WHYであり、それを実現するために自己と戦い
続けるための勇気と努力なのである。

そう考えると、WHYを考え、WHYを取り戻すための活動を企業に埋め込んで
いくことが何よりも求められることになる。

ほっておくと企業はマーケティング思考で埋め尽くされていく。
HOWやWHATばかりになってしまう毎日の中で、
マーケティング思考を超え、
WHYに立ち戻れる場所をどう埋め込んでいくか。

そのための仕組みが求められているのである。

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