ファンなんて信じない:
『ロックで独立する方法』

インターネット、特にソーシャルメディアが普及し出してから企業はネット上でつぶやかれていることに神経をとがらせるようになっている。キーワードを設定しておけばソーシャルメディア上でのつぶやきを拾って、解析してくれるようなソリューションも出てきており、大企業を中心に、利用している企業も多いようだ。

企業や製品の悪口はソーシャルメディア上で一気に拡散する。そのスピードはブログ時代とは比べものにならない。だから、企業が、リスク回避の観点から自社の製品やブランドに対する評判に聞き耳を立てるようになるのも当然だ。

或いは、生活者の会話を注意深く観察することで、新しい商品や事業のヒントが見つかるかもしれない、という期待も高い。近年、文化人類学の手法である「エスノグラフィー」をマーケティングや商品開発に応用することが注目されているが、ソーシャルメディアをうまく活用すれば、ネット上でエスノグラフィー的な調査をすることが可能になる。何せ膨大な数の生活者同士の会話がソーシャルメディア上には溢れているのだ。これを活用しない手はない。

しかし、ネット上での生活者のつぶやきに、いちいち反応して、一喜一憂するのも考えものである。

そもそもソーシャルメディアで囁かれていることの大半は気分的なものだ。気分はとらえどころがない。そのとらえどころのないものを何とかとらえようとしても、徒労に終るだけでないのか。

そんなことを考えていた時、本書の中の清志郎の以下の言葉に出会ったのだった。

『ファンの期待に応えたい』という気持ちと『ファンを裏切りたい』という気持ちを秤にかけたら、一貫して『裏切りたい』の方がずっと強かった気がする。だって三〇年も音楽活動を続けていれば、こちらが『ファンに裏切られる』ことの方が、ずっと多いんだから。
メジャーになっちゃったからとか、もう自分も若くないからとか、そろそろ飽きたからとか、他に興味が移ったとか、なんとなくとか、そういうことでファンが自分から離れたり付いたりするのを、三〇年間肌で感じ続けてきた。だからオレはファンを信じてなんかいない。信じろっていう方がムチャだ
」(P.130)

そうそう。そうなんだ。お客様は大事だ。お客様でない生活者一般の言うことに耳を向けることも大事だ。でも、お客様も、生活者も移り気な存在だ。その移り気な存在の言うことに縛られていたら、何もできなくなってしまうのではないか。

ファンに縛られちゃうと、もう新しいことなんてなにもできなくなる」(P.134)

お客様の言うことに気を配る真面目で誠実な企業ほど、この罠に陥っているのではないか。

では、企業は何を拠り所にすればいいのだろう?他人の言うことに耳を傾けず、究極のプロダクトアウトでいればいいのか?

確かに清志郎は、自分自身のことを信じることは大事だと言っている。同時に、以下のようにも言うのだ。

あまり受け手をイメージすることもない。強いて言えば、『話が通じる友達や仲間』のイメージかな。そういう人たちに向かって歌っているつもり」(P.134-135)

お客様やファンや生活者ではなく、友達や仲間。そう思える存在を持ち、その人達を参照点とすること。裏切らない存在を持つこと。ネット上でのつぶやきのいちいちに右往左往しないために大事なのは、そういう友達や仲間のような信頼できる存在を持つことなのだろう。

しかし、そういう存在を企業はどうすれば持つことができるのか?
それが一番の難問である。

コメント