世界へのアプローチ:
『本へのとびら』

社会を感じるには、社会とリアルに関わり合うことが必要になる。
これがSocial Sensingの根底にある考え方だ。社会とリアルに関わり合うこ
となく、美味しい情報だけもらおうって思っても、そうは問屋がおろさない。
日本の戦後を支えたものづくり企業の経営者たちがこぞって「現場」の大事さ
を説いたのも、この社会との関わりなくして、社会に求められるものはつくれ
ない、という信念があったからだろう。

ものづくりに誠実な人は、いつだって現場・現物・現実を大事にするのだ。

そんなことを考えていた矢先、ジブリの宮崎駿が岩波少年文庫の中から50冊
を選りすぐって紹介する本書の中に、以下の言葉を見つけた。

「そうした挿絵の時代から、映画になり、テレビになり、と違うところに
きた。それがさらに、携帯で写した写真を転送して…というように、映像
が個人的なものになってきてしまった。
そうすると、現実に対するアプローチの仕方はどんどん脆弱になっていく
んです。本物というか、なまものというものはつかまえにくいものです。
光線や空気や気分でどんどん変わっていきます。たとえば、目の前に見合
いの相手がいて、ドギマギしながらちょっと言葉をかわすだけで判断する
より、正しい照明で写真やビデオに撮って、こっそりひとりで落ち着いて
観たほうが本当のことがわかるんじゃないかと思うようになるんです。実
際そうしかねない人間を何人も知っています(笑)。」(P.129-130)

「この世界をどういうふうに受けとめるんだ、取り込むんだというときに、
自分の目で実物を見ずに、かんたんに「もう写真でいいんじゃない」とな
ってます。写真自体も、いくらでも色やコントラストが変えられるから、
好き勝手にしているでしょう。ですから、ほんとうに自分の目がどういう
ふうに感じているのかということに立ちどまらなくなっています」(P.131)

僕らはすっかりバーチャルになって、現実に対するアプローチの仕方がどん
どん脆弱になっていると宮崎監督ははっきりと指摘している。

そして、リアリティのない人間ほど、全体のことを語りたがる。そのことに
ついても宮崎監督は敏感だ。

「今の世の中全体のことで、政治がどうとか、社会状況がどうとか、マスコ
ミがどうのこうのということじゃなくても、自分ができる範囲で何ができ
るかって考えればいいんだと思います。それで、ずいぶんいろんなことが
変わってくるんじゃないでしょうか」(P.145)

そう、自分が何かを変えることができる。そう思うだけで、社会の見方は変わる。
それは消費する個人から、創造する個人へのパラダイム転換でもある。

なぜ、そういうパラダイム転換が求められるのか。3.11後の困難な時代を正気を
失うことなく生き抜かないといけないからだ。

「3.11後」に対して、宮崎監督は極めて冷徹な見方をしている。突き放している
と言ってもいい。それくらい厳しい現実がやってくると、この天才は直感している
のである。

「風が吹き始めました。
この20年間、この国では経済の話ばかりしてきました。まるではちきれそ
うなほど水を入れた風船のようになっていて、前にも後にも進めない。
(…)
そして、突如歴史の歯車が動き始めたのです。
生きていくのに困難な時代の幕が上がりました。この国だけではありませ
ん。破局は世界規模になっています。おそらく大量消費文明のはっきりし
た終わりの第一段階に入ったのだと思います。
そのなかで、自分たちは正気を失わずに生活をしていかなければなりませ
ん。
『風が吹き始めた時代』の風とはさわやかな風ではありません。おそろし
く轟々と吹きぬける風です。死をはらみ、毒を含む風です。人生を根こそ
ぎにしてしまう風です」(P.150-151)

歴史が動き始めた。そして、それはとても不幸な時代の始まりでもある。
そう、ちょうど関東大震災が起きてから敗戦までの20年間、とても困難な時代
をすごしたように。

だからと言って、絶望を説いてはいけない。

「僕らは、『この世は生きるに値するんだ』という映画をつくってきました。
子どもたちや、ときどき中年相手にぶれたりもしましたが、その姿勢はこ
れからこそ問われるのだと思います」(P.156)

かと言って、安易な希望に満ちたファンタジーをつくっても意味がない。

今できるのは、現実をきちんと見ることからなのだ。

自分の目で現実をきちんと見て、感じて、そして、その上で絶望に陥らずに
できることをやる。そういう生き方がこれから必要になるのだろう。

まさに一人ひとりのSocial Sensingが重要な時代である。

「始まってしまったんです。これから惨憺たることが続々と起こって、どう
していいか分からない。まだ何も済まない。地震も済んでいない。『もん
じゅ』も片付いてない。原発を再稼動させようとして躍起になっている。
そういう国ですからね。まだ現実を見ようとしていない、それが現実だと
思います」(P165-166)

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