人間中心のマーケティング:
『コトラーのマーケティング3.0』

Web 2.0以後、○○2.0という言い方がそこら中に溢れている。
2.0とつければ何でも新しく見えるということなのだろうが、マーケティング
の世界では、2.0なんて言っていたら逆に古臭い奴だと思われてしまう。
何故なら、マーケティングの大家コトラーが、マーケティングは3.0の時代だと
言い出したからだ(正確にはコトラー以外の2人の共著者との共創概念である)。

 

マーケティングの進化の段階
そのものずばりのタイトルでマーケティング3.0について解説する本書によると、
マーケティングは、ざっくり以下の段階を経てその概念を進化させてきたという。

マーケティング1.0は、製品中心のマーケティング。
いわゆる「マーケティング・ミックス」や「4P」に象徴されるマーケティングで、
50~60年代、アメリカの基軸産業が製造業だった時代に開発された概念だ。

しかし、70年代に入って、アメリカは不況期を迎える。日本を始めとしたアジア
製品も市場を脅かし始めた。こうなると、有効な需要創出のためには、
製品でなく、消費者を中心に据えないといけないという考え方が支配的になる。
「STP」=セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニング、がもてはや
されるようになったのはこのためで、この消費者志向のマーケティングが、
マーケティング2.0である。
多くの企業はこのマーケティング2.0の段階に留まっている。

では、その先にあるマーケティング3.0とは何か。

それは一言では「価値主導のマーケティング」と表現される。
何のこっちゃですね。そう言われても、何だかよくわからない。

このわからなさは、そもそもマーケティング3.0が、3つの新たなコンセプトの
組み合わせから成る複合概念であることに起因する。

 

マーケティング3.0を構成する3つの要素
その三つとは、「協働マーケティング」「文化マーケティング」
「スピリチュアル・マーケティングのことだ。

それぞれ説明しよう。

「協働マーケティング」とは、消費者参加型の商品開発に象徴されるような、
消費者の参加を前提にしたマーケティングのこと。
この背景にあるのは、勿論、インターネットの普及である。

インターネットという武器を手に、誰もが発言者になれる時代は、「参加の時代」
でもある。「参加の時代」には、もはや消費者は受動的な存在としてではなく、
参加や協働のパートナーとして見なければならない。消費者自身が参加したくて、
物を言いたくて、ウズウズしているからだ。

それが協働マーケティングのベースにある考え方で、
キーワードは「共創」=コ・クリエイションである。

二つ目の「文化マーケティング」は、グローバリゼーションの進展に伴って要請
されてくるものだ。グローバリゼーションの進展は、良いことばかりではなく、
貧困や不公正の拡大、自然や地域の伝統文化の破壊など、政治や経済や社会文化
における様々なパラドクスを生んでしまう。

それは生活者を不安に陥れる。

だから、このグローバリゼーションのパラドクスを解決し、世界をより良い場所
に変えていこうと努力する企業があれば、その企業のことを積極的に支持する
ようになる。このように、世界が抱える文化的課題の解決をビジネスモデルの
中心に据えるマーケティングが文化マーケティングである。

三つ目の「スピリチュアル・マーケティング」も、文化マーケティングと似た
部分があるが、幸福や意味など、より精神的な価値を重視したマーケティング
の概念である。これは、クリエイティブの時代、つまり、人々が自己実現欲求
に生きる時代の到来に対応している。

クリエイティブな人や自己実現を求める人は、金銭的価値よりも、精神的価値
を追求する。だから、同じように金銭的価値よりも、精神的価値を大切にする
企業があれば、その企業にシンパシーを感じるようになる。つまり、企業には、
どんな意味や価値を求めてビジネスをしているかを明らかにしていくことが
求められるようになる、ということだ。

この三つを融合させたマーケティング3.0では、「マーケターは人びとを単に
消費者と見なすのではなく、マインドとハートと精神を持つ全人的存在ととら
えて彼らに働きかける」必要があると、本書は述べる。

 

マインド、ハート、スピリット
「マインドとハートと精神(=スピリット)を持つ全人的存在」という表現が
ここでの鍵だ。

ちなみに、「マインド」「ハート」「スピリット」は、それぞれ以下のように
捉えると理解しやすい。

マインド=思考。知性・頭脳のレベル
ハート=感情。感覚・身体のレベル
スピリット=精神。魂・存在のレベル

イメージで言うと、マインド < ハート < スピリットの順で深いレベルになる。
人と会ったり話をしたりする時、マインドやハートのレベルでは触れ合えるが、
スピリットのレベルになるとなかなか触れ得ない。
それは一番内奥の、人には触れさせない神秘の空間だからだ。
言葉にならない、言葉では表現し得ない世界だとも言えるだろう。

あえて本書がこの三つを並べ立てているのは、これまでのマーケティングが、
マインドとハートのレベルで消費者に訴えることに注力してきたからだ。それ
は、マーケティングの名を借りた「操作」(マニピュレーション)と言える。

実際、感情に訴えるまでは、表現の工夫で何とでもなる。
詐欺師は感情に訴えることで相手を操作しようとするのだ。

だが、感情に訴えるだけでなく、精神に訴えるためには、操作は通用しない。
相手を操作しようとするのではなく、自分が本気で意味や幸福を追求すること。
その本気の姿勢が相手に感染し、相手を精神のレベルで動かすのである。

 

企業の本気が問われる時代
これは企業にとっては大変な事態の到来を意味している。
その企業が本気で追求するものは何か。その「本気」が問われているからである。
追求するものが、意味や幸福でなく、金銭や名誉ならば、人々の精神に訴える
ことはできない。

だから、企業は自分がどんな意味や価値を追求しようとしているのかをきちん
と理解することから始めないといけない。その上で、その意味や価値の追求と
整合的な事業展開を営む必要がある。そうでないと、インテグリティ(一貫性、
完全性、誠実性)が欠如していると思われてしまう。

マーケティング3.0が、「価値主導のマーケティング」と言われる理屈は以上
述べてきた通りである。

「マーケティング3.0は企業のPR活動ではない。企業が自社の文化に価値を
織り込むということなのである」とコトラー達はまとめているが、広告やPR
の前提にあるべきものが本気で問われてきているのである。

広告やPRは代理することができるが、価値は代理ではつくれない。
その企業の存在意義そのものだからだ。

 

どこまで人間中心になれるか
そして、「価値」とは、作り手が生み出すものではなく、受け手が感じとるもの
だから、「企業が自社の文化に価値を織り込む」とは、「人間中心の企業文化を
つくる」ということと同義になるだろう。

結局、これからの企業には、どこまで人間中心になれるかが問われている、
ということだ。それがマーケティング3.0という概念が問うものの全てである、
と言っても過言ではない。

だから、「人間中心の企業でありながら、それでもなお利益をあげることは可
能なのか。本書はこの問いに対して『可能である』という答えを提供する」と
述べる著者達は、そもそも間違っている。

「人間中心でも利益をあげることは可能だ」ではなく、
「人間中心でなければ利益をあげ続けることはできない」と言うべきだからだ。

もっとも、文化だ精神だと言っている人達が、本書の最後のほうでこんな問い
をあえて立てるということは、それだけ「利益」というものと、「人間中心」
というものとがビジネスの現場では乖離したものと思われているということの
証左でもあろう。

本当に、ビジネスはいつからこんなに非人間的になってしまったのだろう。

勿論、儲けるためには甘っちょろいことばかりでは済まない。

だが、だからと言って、人間を離れて、人間の精神や幸福から乖離した儲けを
追求することにそもそも何の意味があるのだろう?
目的と手段を混同してはいけない。人間を幸せにするためにビジネスがあり、
儲けがあるのであって、儲けを増殖させるために人間が存在するのではない
のだから。

マーケティング3.0=価値主導のマーケティグの時代は、
人間中心の文化を持ち、人間のことを見つめ続ける企業が勝利する時代である。

そんな当たり前のことをわざわざ「大家」に説明してもらわないと納得できな
いほど、今のビジネスパーソン達は歪んだ世界に生きている。
ビジネスパーソン達のそのズレが、どれほどこの社会を、そして自分達自身を
不幸にしてきたことか。

コトラーのようなゴリゴリの合理主義者ですら、「人間中心」と言わざるを得
ない時代。そういう時代を僕らは生きている。

そのことをもっと真剣に捉えようではないか。

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