「ほどよく越境してみる」
アーティスト/KOSUGE1-16 土谷 享さん
KOSUGE1-16というユニット名で活動する美術家の土谷さん。
このユニット名(屋号)は、
ご夫婦が暮らし始めた場所である小菅の住所からとったものだそうです。
土谷さんが暮らすのは東京の下町の雰囲気が色濃く残る土地柄。
近所のおじいちゃん、おばあちゃんがご飯をご馳走してくれたり、
おかずをおすそわけしてくれたり、
時には生活ぶりを心配してアルバイトを紹介してくれたりすることもあったそうです。
はじめは「ほっておいてくれよ」と思っていたそうですが、
やがて、ご近所さんたちのそういうプライベートへの越境行為が、実は生活を楽しく、
豊かなものにしてくれていることに気づいたのだそうです。
そこで、オブジェとしての作品ではなく、
この人との関係性をつくることを美術を通じてやっていきたいと
考えるようになったのがKOSUGE1-16のそもそものコンセプトだそうです。
以来、「作品を通して人と人との関係性をつくる」
というコンセプトのもとで活動をしてきた土谷さんが
この日、詳しく説明してくれたのは、
2010年に愛知トリエンナーレの一環として行なった「長者町山車プロジェクト」でした。
かつては日本三大繊維街として栄えた名古屋市長者町。
繊維産業が衰退しはじめる一方、
町を元気にするため色々な取組みをする若い人たちも出始めていました。
そんな長者町に1つ拠点をつくることで、
美術家と町の中の関係性をつくりながら創発していくような試みをしたいという
愛知トリエンナーレの主催者側の思いを受けて、土谷さんと長者町との関わり合いが始まりました。
-山車をつくることを通じて関係性をつくる
関係づくりのための作品として選んだのは「山車」。
もともとこの街には山車づくりの文化があったのです。それを復活させる試みでした。
足掛け3年にわたり長者町に関わった土谷さんは、
山車をつくるプロセスに関係づくりのきっかけを埋め込んでいきます。
例えば、1年目の2009年には2ヶ月くらい町に滞在しながら、
まずは町の中に子ども達の居場所をつくりたいという思いから、
子ども用の「ぬいぐるみの山車」をつくることを企画します。
そして、材料となる布切れを繊維屋さん達にもらいに行くプロセスを通じて、
町の人と顔なじみになっていったのです。
すると、次第に、小菅のようなおすそわけご近所づきあいが始まっていったのだそうです。
2年目の2010年は、木でできた、かなり立派な大人用の山車をつくることを構想します。
その構想を町の繊維組合などにプレゼンするのですが、最初は「お前馬鹿じゃないか」とか
「そんなの曵けるわけないだろう」と散々に言われたそうです。
でも、町の中に山車の製作場所を探していた時にすごく力になってくれたのが
「お前馬鹿じゃないか」と言った繊維組合の人達。
そのお陰でタダ同然で場所を借りることができ、三重県から材木も取り寄せ、
町の人たちと一緒に立派な山車を組み上げていくことができました。
がしかし、完成したと思ったら今度は全然動かない。
これには繊維組合の人達も「恥をかかせるなら協力しない」とふてくされてしまいました。
ただ、その後、町の若手のグループと一緒に、
各地の山車の研究や深夜の猛練習を2ヶ月にわたって
重ねた結果、お祭り当日、見事に山車を曵くことができたのだそうです。
この山車は、昔の山車の再現ではなく、皆で作り上げた新しい山車でした。
山車のからくりも長者町ならではのエピソードをもとにして、ユーモラスな中にも、
さりげなく町の発展という希望を託したものになりました。
この山車は本当は解体して捨てるはずだったのですが、
町の人達に引き継がれ保存継承されています。
3年目の今年(2011年)は、壊れた部品を寄贈してもらったり、
山車を引くユニフォームもそろえたり、
町の人達自身が独自に運営して、お祭りは去年よりも晴れやかに盛り上がったとのこと。
ここに土谷さんは全然関わっていません。
-面倒をかける、議論が生まれる、場をつくる
土谷さんは、行政主導のアートイベントにありがちな一過性を払拭したかったそうです。
ですから、はじめの企画段階から「続いちゃうこと」を仕込んでしまう。
維持するには人手もかかるし、お金もかかる、時間もかかる。
すごく面倒なことばかりだけど、誰も経験したことがないから、
町の中から創発的に色々な意見がでてくる。
その議論が場をつくり、形骸化してしまっている町や、
町がやっているお祭りに新しい風を送り込む。
それが土谷さんの実現したかったことだそうです。
だから土谷さんにとってのソーシャルセンシングとは「作品を通して面倒をかけること」。
面倒をかけることで一過性でない関係性が生まれてくるという土谷さんのメッセージには、
関係づくりの大きなヒントを頂きました。